ミニマリスト主婦の人生最適化計画

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ゲド戦記の精神不安定さがHSPにささる

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www.fusakonoblog.com

先日はてなブログトップページをたまたま開いたらこちらの記事が目につきました。

ジブリが映画館で再上映されているなんて...!!

いてもたってもいられず、映画館で観てきました。

教えてくれた筆者さんありがとうございます!

 

一生に一度は、映画館でジブリを。

ジブリは何度もテレビで見てるけど、映画館の良い音響で大画面大迫力で見たいよ!!

なんて素晴らしい企画。

コロナだからなの?

コロナで上映作品減ってジブリを再上映してるの?

理由はどうあれ一生テレビ画面で見続けるのみと疑いもせずにいたジブリ

こんな機会を設けてくれて、それに遭遇できて幸せすぎる。

ぜひ定期的にほかの作品も再上映していただきたい。

 

www.ghibli.jp

 

今回の「一生に一度は、映画館でジブリを。」キャンペーン

風の谷のナウシカ』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』『ゲド戦記

4作品がラインナップされています。

 

この並び、『ゲド戦記』だけ異質ですね。

ほかの3作品に比べて人気も知名度も低いです。

あえてラインナップに入れるということは、

「観て!!再評価して!!」ってことでしょうか。

 

ということで私は『ゲド戦記』を観てきました。

公開当時、テルーの唄をよく聞いていたのですっかり観た気になっていましたが、

今回よくよく考えてみたら一回も観たことがなかったのです。

中学生の時に原作を読んだことがあるので記憶がごちゃ混ぜになっていました。

人の記憶はあてにならないものですね。

 

ゲド戦記

原作を読んだのはもう20年(!)も前だからあいまいだけど、ストーリー違いますよね?たぶん。

アレン、原作では父殺しなんてしてたっけ?あんなに病んでたっけ?

考察やネタバレ読みたいけどこの記事を書き終えるまでは我慢しています。

 

ほぼ前情報なしで観ましたが、感じたのは既視感。

リャマみたいな動物に乗ってるアレンとハイタカが、ヤックルに乗ってるアシタカに見えるー。

ハジア売りがジコ坊に見えるし、クモはエボシ様と同じ声だし。

 

感じた違和感はテルーが全然醜くないということ。

顔のやけどをピンクで軽やかに表現してるけど、前情報が無い状態で観た人はやけどだって気づくのかな?

中盤でテナーがやけどについて説明しているけど、それまでわからないんじゃないかな?

「この顔じゃ売り物にならない」「気味悪い」みたいに散々に言われてるけど、テルー全然醜くないよ。

ストーリーの中ではひどいやけどの跡なんだろうけど、観てる側としてはどこが?となってしまうのです。

 

主人公が精神不安定

主人公は17歳の若者アレンです。ゲドではありません。

ジブリの主人公といえば、気高くまっすぐで強い心の持ち主なイメージですが、

ゲド戦記の主人公アレンは本編の9割がた病んでます。

 

繰り返されるキーワードは「不安」。

この「不安」という言葉が出てくるたび、HSPである自分が揺さぶられます。

 

アレンはずっと不安そうな顔で、自信のないボソボソした話し方をしていて、不安でたまらなかった頃の自分を思い起こされるから。

 

たぶんアレンはHSPですよね。

真面目で優しくて自信がなくて不安でたまらない青年。

 

最後アレンが生と向き合えるようになり、精神が統一されて自信が持てるようになったとき、私にも安堵の気持ちが広がりました。

父殺しをするほど精神を病んでしまっても、いつか出口があり希望があるんだと思えたからです。

 

HSPは不安でボロボロになりやすいけれど、特性を活かして生きられるようになれば自信を持った魅力的な人になれるはず。

そう思える希望をアレンが叶えてくれました。

 

監督もHSPだと思う

アレンの精神不安定さを描くのは、実際に精神不安定になったことがある人じゃないと難しいと思うんですよ。

 

アレンは立派な国王の下で、偉大な父親とダメダメな自分を比べて精神不安定になってしまった訳だけれど、宮崎吾朗監督も宮崎駿という偉大な父親と比べられてきたんですよね。

アレンが不安を克服する様は、監督がこうありたいという思いを託しているんじゃないかな。

 

私は監督のことを全然知らないので想像でしかないんだけど、エンドロールで確信しました。

「テルーの唄」の作詞って宮崎吾朗監督だったんですね。

あの繊細な世界観と言葉はHSPだ。

 

だからどうということはないけれど、観たこともなかった映画の歌がなんで当時あんなに染み込んできてたのか、やっと腑に落ちました。

テルーの顔を醜く描かなかったのも、傷つく人がいるかもしれない、と考えた結果だったのかもしれませんね。